未来からの贈り物 - 愛犬リンの回想

去る5月27日、16年あまり飼ってきた愛犬(柴雑種メス)「リン」 が老衰でこの世を去りました。二週間ほど前から目立って衰えを感じさせるようになったものの、前日までなんとか歩行もでき、寝たきりになったのは1日だけでした。

また、人間だけでなく、同時に飼っていた他の犬たちやウサギや猫に対しても、いつもやさしく接することのできる癒し犬でもありました。

 

その「リン」との出会いは2007年(H19) 1月29 日の深夜でした。そしてその遭遇には偶然に次ぐ偶然の積み重ねや共時性の連鎖がありました。

その不思議な出会いにまつわる一部始終を回想することで、一見マイナスに思える出来事が、実は〈未来からの贈り物〉であったのかもしれないという目で見つめ直してみたいと思います。

 

以下長文になりますので、お時間のある時にお読みいただければ幸いです。

 


 

●出会いの日

当時私は坂戸市内で個人住宅の新築工事に携わっていました。その日は朝から頭痛がして、体調が悪く休もうかとも思いましたが、まだ経験の浅い弟子に任すわけわけにはいかない作業日だったため、無理をおして現場に向かいました。

 

また妻がその日に限って滅多に行かない東京に用事で出かけてくるとのこと。そして帰りは夜になるから現場近くのショッピングモールに迎えに来てほしいと言います。早引きも考えていた私ですが、なぜか体調不良を伝えることもできず曖昧な返事をして妻を送り出しました。

 

お昼には吐気も加わり食事も摂れず、トラックの車中で丸まって爆睡しました。滅多にないことです。午後も体調不良でしたが、見栄を張って何とか夕方まで仕事をし、小一時間かけて帰宅する元気もなく、待ち合わせのショッピングモールに早めに向い車中で寝て妻を待つ他ありませんでした。

 

その後、2時間以上車中で休めたおかげで、体調はかなり良くなっていたため待ち合わせた妻とレストランで軽い夕食がとれました。 しかし完調には程遠く、食後はできるだけ早く帰りたいと思っていたところが、ちょうどその日で閉店するビーズ専門店がショッピングモールの中にあり、どうしてもそこに寄りたいと訴える妻。なぜか男気を出して付き合う羽目に。

結局近年にない体調不良にもかかわらず、目一杯用事をこなしての帰路となりました。

 

●事故との遭遇

さてそこからです。帰りの走り慣れた道にもかかわらず、ある交差点でなぜか曲がるべき方向と逆方向にハンドルを切ってしまったのです。「えーっなんで!?」と自分でも説明がつきません。自分で制御しているはずが、頭と体が違う判断を下してしまうのです。しかもそれが続けざまに二つの交差点でおきました。どうしたことかと戸惑いながらも、なんとかいつものコースに戻ります。そして、街灯の少ない暗い直線道路。アクセルを踏み込んだ先の前方道路のど真ん中に布切れの様な物を発見。 とっさの急ブレーキは危険と判断してそのまま走り去ろうと思った瞬間、なんとそれは布ではなく犬がこちらを向いて伏せているではありませんか。「ゴッ、ゴゴッ」という鈍い音と車体下の振動を感じつつ急ブレーキ。「あぁー、 やってしまった !」、と同時に「そうかーっ、今日はこういう結末が待っている日だったのかー」と頭を抱えました。

 

慌てて下車してみたところ、トラックのちょうど車輪の間で轢いてしまった犬は、幸い小さい出血はあったものの自力で動ける状態でした。オロオロと犬を介護していると、急ブレーキの音とただならぬ人の声に心配した近所の住人が寄ってきて言うには、「この犬は最近、このあたりをウロウロしていた。犬は捨てて行かないで自分で対処してね !」と。「ハイ、わかりました」と恐縮して答え、トラックの荷台に載せて帰路を急ぎました。

 

疲労困ぱいし頭が混乱する中、車を走らせながら考えました。どうしてあの時犬は待っていましたとばかり伏せをして道路のど真ん中で平然とこちらを見つめて動じていなかったのか。そもそも信号ひとつのちょっとした時間差で、私の前か後ろの車が轢いていてもおかしくなかった。第一、なぜ二度も道を違えてあの時間あの場所を走らなければならなかったのか。まるで時間調整をするかのように。

 

なんとか帰宅後、深夜なので獣医さんに連れていくこともかなわず、またそれほど悪い状態でもないように見えたので、裏山の林の暖かそうな草むらに寝かせて朝を待つことにしました。

 

●「リン」の命名と共時性

早朝にぼんやりと目覚めた私は、夢うつつの中でふっと「あの犬に名前を付けてやろう・・・リン・」と思いついたのです(昔、荻野目洋子主演のNHK朝ドラ〈凛凛と〉が浮かびました)。今まで飼ってきたペットたちの命名に一度も関心を寄せたことがなかったのに。

その朝、「リン」は茂みの中で静かに横たわっていました。

 

そして獣医さんが開くまでの間、新聞の朝刊を開いてすぐ目に飛び込んできたのは「崖っぷち犬・抽選で飼い主決定。リンリンと命名」。・・・「リン」かー・・・と。当時徳島市の高さ約70メートルの崖で身動きがとれなくなっていた犬の救出を巡って、ワイドショーが救出劇を生中継するなどして話題に上っていたのでした。

 

ちなみに、もう一つの共時性がその日の夜にありました。 それほど近しい間柄でもなかった知人の奥さんから電話が唐突にあり、「家にある市松人形に名前をつけたのよ、リンって」 ・・・受けた妻がポカンとして、なぜそんなことをわざわざ伝えるために電話してきたんだろうと。

 

●獣医さんの提案

さて、朝一番にご夫婦で獣医師という医院に連れてくと、生死に別状はないが、顎が外れているのと、排泄が難しい状態なので、入院して割と高額な手術が必要とのこと。また、仮に手術をしても自力排泄ができなくなる可能性もあるとの診断でした。

「自力排泄ができなくなったら、飼うのは難しいでしょうね。」

「そうすると、どうなりますか ?」

「一般的には殺処分でしょうね。可哀そうですが」

「どうされますか ?」 

「・・・・」

 

当時我が家ではすでに2頭の犬(柴雑種とビーグル共にオス)を飼っていたので、さらに1頭増えるというのはできれば避けたい。そもそもビーグルの方もどこかのハンターが捨てていった犬(片足にやや障害あり)で柴になついて半ば強引に飼う羽目になったいきさつがあり、高額な負担を負ってまでリスクを取らないといけない義理はないわけです。

ただそうは言っても、ただならぬ縁で出会ってしまって、ついさっき名前まで付けた犬です。

そんな話もしつつ、言葉に窮していると、獣医さんが語りました。

「提案ですが・・・」と少し間をおいて、「この犬の権利を私たちに譲っていただけませんか ?」と男先生がおっしゃるのです。

「どういうことでしょうか」

「私どもの責任で手術をさせてください。獣医師として動物愛護の観点からできるだけのことをしてやりたいのです。」

信じられないような展開に驚きつつ、グッとくるものがあり、

「あー、願ってもないことです。そんなことができればどんなに有難いか。」

 

「ただ、手術が失敗したら残念ですが殺処分にせざるをえません。でも、もし成功したら・・・飼うおつもりはありますか ?」

何か異議を申し立てるような雰囲気ではなく、「あっ、ハイ。大丈夫です。よろしくお願いします。」

「一週間ほどしたらご連絡できると思います。」

「ありがとうございます!」

 

そして時を経て、電話がありました。

「手術は成功しました。とても良い子なのでもし望まれないのでしたら私たちの方で飼ってもいいかなと思っていますが、それとも引き取りに来られますか ?」

ということで、我が家で飼うことになりました。

ちなみにこの獣医さん、毛呂山町の「新井動物病院」といい、現在はご子息も獣医師となり3人で医院をされています。

 

●エピローグ

そんな経緯で我が家に来た「リン」は、左目が見えない状態で、なぜか吠えたり声を発することがなく、不安なのかぐるぐると回ってばかりいる犬でした。散歩の時に真っ直ぐに歩けるようになるには少し時間がかかりましたが、どんなに歳をとってもずっと女の子のようなピュアさを保ち、生涯ほとんど声を発することなく静かに息を引き取りました。

 

番犬には全くなりませんでしたが、不思議な存在感を示してきた「リン」は、私にいくつかの〈リン縁〉をくれました。一つは我が町に四寺ある「臨済宗」のお寺とのお付き合いが深まりました。もう一つは仏具の「おりん」(シンギングボール) 。大小4種のおりんが手元に集まり、鐘の音に似た響きは私の心身を日々癒してくれています。 最近ご縁があったのは、義理の甥っ子が結婚した女性。先日二人して訪ねてくれたのですが、その名も「リン」ちゃん。親孝行でやさしいピュアな子です。 

 

それにしても、リンと私が出会わなければならない必然というのは何だったのでしょうか。それは今も謎としか言いようがありませんが、これに関連して、ある脳機能科学の先生が、「時間は未来から過去に流れている」といい、東洋哲学では昔からあった節理だと言います。にわかには理解し難い考えですが、リンについて感じるのはそれに近いものです。私の中ではしっくりくる感覚なのです。

 

またそれは、私がこれまで携わってきた建築の仕事で、建物を完成させた時にいつも感じる感覚に通じるものなのですが、「そうかー、この建物に出会うために時間は流れていたのか」と妙な納得を得てきた経験の積み重ねがあります。

 

マイナスの連続の中での遭遇としか思えなかったリンとの出会いでしたが、その後リンがもたらしてくれた不思議と幸せは、実は未来からの贈り物だったように思えます。

 

リンの姿は見えなくなりましたが、この先リンはどんな続きの物語を見せてくれるのでしょうか。

 

長文、失礼しました。